2012年8月5日日曜日

再び札幌へ

すっかり間があいているのに
無理矢理知床旅行の記事をアップした最近。

そして、今から再び札幌へ。

まさか、また行くことになるとは
今年の頭に仕事を引き受けたときは思いも寄らなかった。

縁だなぁ、と思うし
今年はそういう年なんだろう。

今回の滞在は1週間未満。
取材と打ち合わせ&シナハン。

あまり長くは滞在しないけど
3ヶ月程住んでいた場所に
もう一度訪れ
違う季節に街にいるという
そのときの自分の気持ちに興味がある。

普通なのかな。
すでに懐かしかったりするのかな。

とりあえず、東京や関西よりも過ごしやすいことに期待したい。
本当に頼みます、大陽さま。

…と思っていたら、雨なんだとか!
いやいや、晴れてていいのですよ…涼しければ。
雨はあまり好きじゃないのに。

東京は晴れている。
蝉が朝から元気に叫んでいる。

よく見ると東京タワーとスカイツリーが見える自宅の屋上。


2012年8月3日金曜日

オードリー

「かーすが」
ではなく、
「ヘプバーン」のほう。

京都での仕事のついでに
実家に帰ってきた。

半年以上ぶりの実家。

久々に受けた、連日の外での仕事と
関西方面の蒸し暑さに
体が思うように動かなかった私は
何かエネルギー補給しなくては…と
冷蔵庫の前に立った。

冷蔵庫の扉には
家庭の情報が集まるのだ、と誰かが言っていた。

今日のお買い物メモや
家族への伝言板など
使い方は各家庭それぞれだけど
うちの場合は、母トミコの趣味の場所だ。

あるとき、柴犬の写真が数枚貼られていた。

2年ほど前に死んだ、犬のモモコだと思ったのだが
よく見たら、縁もゆかりもない知らない犬の写真だった。

「これ誰?」とトミコに聞いたら
「かわいいでしょ? モモちゃんにそっくりやねん!」と
満面の笑みで、見ず知らずの犬を見つめた。

なんで本物を貼らないのだ、と
私が持っていたモモコの写真をあげたら
「わー! モモちゃん! かわいい!」と喜んで
見ず知らずのワンちゃん達の写真と並べて貼っていた。

今回の冷蔵庫コレクションは
その、モモちゃんの写真と
オードリーヘプバーンだった。

まさか実家の冷蔵庫の前でオードリー様に会えるなんて思ってもみなかったので
一瞬、悩んでしまった。

「これ、オードリーヘプバーン?」
「かわいいでしょー?」
また、トミコは満面の笑みでオードリーヘプバーンの愛くるしい顔を見つめた。

あぁ、久々の実家なのだな、と思ったら
父アキラがいつものように
「で、お前いつ東京に帰るんや?」と聞いてきた。

帰ってきたばかりの瞬間に
早く帰れの姿勢を露にするのも
お決まりだ。

「帰ってきたばっかりやっちゅーねん」

女知床一人旅 その7

二日目は朝から
森の散策。

この日ご一緒したのは
前日の知床五湖のトレッキングでも一緒だった
千葉のご夫婦。

「昨日はよく眠れた?」
朝から心地の良い笑顔で話しかけてくれる奥様と旦那様。
このお二人とはなんだか縁があるようだ。

朝一番から、遠くに熊を見つけ
興奮気味に散策がスタートした。

この日も天気は曇り。
でも、雨は降っていないし
霧も深くないし、合格点だろう。

ただただ「知床」という土地の成り立ちを聞きながら
野の花やクマの寝床などを見て
鳥の声に耳を澄ましつつ歩く。
時々、野生のシカさんが私たちの先頭を歩く。

こういう、
普段過ごせない時間の使い方が好きだ。

ある瞬間、シカが
ものすごく警戒をした空気が走った。

その目の先にいたのはキツネ。

「動物が動いた時に、その動物の目線になって、その先を見ると
何が起こっているのかわかりますよ」

ガイドさんがそう言った。

動物の目線になる。
森がどのように生きてきたか考える。

この土地の主役は人間ではない。

人間が動物の生きる世界にお邪魔させてもらっている。
そう考えるのだそうだ。

そんな考え方、したことなかった。

「知床」という土地に興味があり
死ぬ前に一度は行ってみたい場所リストに入っていたのだけど
一度来ると、また来たい、と思う場所なのかもしれない。
もっと知りたいことがたくさんある。
動物や木々、自然の生き方を見せて欲しい。

散策の途中に、前日に遠くから見た滝
「乙女の涙」の近くに行った。

双眼鏡でみたら
大粒の涙がタマのように落ちていった。
号泣している。

男は背中で泣く、と聞いたが
その裏で女は号泣していた。
なんだ。両方とも泣いてるんだ。

自然の生き方の中に
人の息吹が見える。

そんなことを思っていたら
さっきまで雲で覆われていた空が
すっかり抜け
知床連山がくっきりと
凛々しく姿を現した。





女知床一人旅 その6

「酋長の家」という
何か起こりそうなワクワクする名前の民宿に泊まった。

知床五湖のトレッキングを終え
寒さでかなり体が冷えきった
私の部屋に電話がかかってきた。

「ご飯、先に食べるって言ってたけど
風邪ひいちゃいけないから温泉に入って温まってきたら?」
少し訛りのある女性の言葉で勧められた。
年齢で言うと
うちの母、トミコくらいの年齢の女性だろうか。

お宿に泊まっていながら
こういう親しげな電話がかかるなんて滅多にないことだから
驚いたのだけど
言われるままに温泉に行った。

温泉につかって温まると
体の疲れが出過ぎて
ご飯なんて食べなくてもいいか、もう眠りたいかも。
という欲求にかられた。

そんなときにまた
部屋の電話が鳴る。

「ご飯、用意出来てるから早く降りていらっしゃい。冷めちゃうわよ」

また、トミコのような女性からだった。

これは行かないとダメなんだな、と
浴衣の帯を締めなおして食堂に向かうと
綺麗にもりつけられたアイヌの伝統料理が並んでいた。

そして、電話の主
このお宿のお母さんが
にっこり笑顔でやってきた。

「イランカラプティ」
彼女が一言目に発した言葉。

アイヌの挨拶で
「こんにちは」とか「こんばんは」とか
時間を問わず使う言葉だそうだ。

本来の意味は
「あなたの心にそっと触れさせてください」
というらしい。

なんと、優しい挨拶なのだろう、と
一気に心が緩んだ。

その後、お母さんは
アイヌ料理を一品一品丁寧に紹介してくれ、
私は味わいながら料理をたいらげていった。
ほろ酔いの気分で
ゆっくりと時間を過ごしていると
今度はお母さんが、アイヌのムックリという楽器を演奏してあげる、と
私一人のために演奏会を開いてくれた。

トランスしてしまう音楽。
少しビールを飲み過ぎたせいか
疲れのせいか
頭の中にガンガンに音楽は鳴り響いたが
決して嫌いではなかった。

ご飯を終え
部屋に戻ったら
何をした記憶もないままに
布団に倒れ込み
知床の夜はあっという間に更けていった。。





女知床一人旅 その5

旅には出会いがつきものだ。

朝、出会ったコリアンのキムと
知床五湖の入り口で再会した。

「ちょうど、帰るところだ」という彼。

朝「知床五湖に行く」という彼の決断を聞いていたので
別に出会ってもおかしくはないのだけど
もう会えないと思っていた人に
偶然再会すると、必要以上に嬉しい。

テンション高く「どうだった?」と聞くと
「知ってるでしょ? 霧ばっかだよ」と
やっぱり、霧の話をするのだった。

再び、しかし、朝より固く握手をして
テンション高いままに別れた。

「随分、国際的なのねぇ」

その様子を見ていた同じトレッキンググループの奥様が呟いた。

知床五湖のトレッキングに参加していたのは
私を含めて5名。

昨年のその日に北海道で結婚式をあげて
結婚1周年の記念に、と再び知床に来たカップルと
千葉から来ていた旅好きのご夫婦。
年齢を推測するに、私の両親よりも10歳以上は上だ。
なのに、とっても健脚でお元気で好奇心豊かな感じのいいご夫婦だった。

千葉の奥様とは
同郷ということがわかり
その瞬間から打ち解けた。

説明を聞きながら
ゆっくりと
出会ったばかりの人と一緒に歩く道。

不思議な縁だな、と思う。

すごく短い時間でも
なんとなく、お互いに適した距離感が出来上がる。

奥様がカメラの操作がわからないと言えば
私がしゃしゃり出る。

カップルが全ての湖の前で写真を撮ろうとしていることに気付けば
湖に夢中になっていっても
お父様がさっと身をひいて場所を作ってあげる。

こういう大人の気遣いや関係性は
そのときだけだからこそなのか
心地の良いものに感じられる。

肝心の湖は
キムの言っていた通り見事に霧で覆われていた。

カップルが「去年見た湖と全然違います」と言っていた。

「でもそれは言い換えれば幻想的ね」
と奥様がふわりと笑うと
確かに、とみんなで霧の景色に見ほれる。

静かに穏やかに時は流れていった。


2012年7月21日土曜日

女知床一人旅 その4

森がどうやって生きてきたのかを
考えながら歩くと楽しい。

知床五湖のトレッキングに参加したときに
ガイドの方がこう言った。

足下には熊の足跡。
数日前のものがまだ残っていた。

木を見るとヒグマの爪痕。
くっきりはっきりと遥か高い上の方まで残っていて
上まで登ったんだなぁ、ということが伺える。

エゾマツの木を見ると
何年生きてきた木かわかる。

水芭蕉の群生は
ヒグマの大好物。

この場所で暮らす動物がいて
そのために、できていく環境がある。

森の生き方を知ることは
その場所に暮らすものたちの生き方を知ることなのだ。

「クマに遭遇したら
トレッキングを中止することがあります」
と最初に言われて
「そりゃそうでしょ、危険だし」と思っていたが
もちろんそれはそうなのだが
それだけではなかった。

この場所に生きる自然界の動物や植物たち。

知床の人たちは
「その神聖なる場所に、私たちが入らせてもらっている」という考え方をする。

だから、クマが挨拶に来たら
「生活を邪魔してごめんなさいね。見せてもらってありがとうね」
と人間たちは御礼を言って去るのだ。
この場所では私たちが異物なのから。

とは言っても
クマさん達に出会ってしまったら
とんでもない騒ぎになると思いますが。





2012年6月29日金曜日

女知床一人旅 その3

霧という悪天候で
知床岬へのクルージングが出来なかった私。

午後からのスケジュールを考えると
下手に動くこともできず
だからといって、何もしないのは
旅人魂がウズウズしちゃうので
急遽、岬までは行けないけど
知床を少し感じられる
時間が短いクルージングに参加することにした。

キムは今から知床五湖に行く、と決めたようで
「よい旅を」と握手をして別れた。

クルーズまでの待ち時間
防寒対策にと持っている全ての防寒着を着込み
そして腹ごしらえにと
知床産スケソウダラのフィッシュバーガーを食べた。
これが像像以上に大きい。

北海道の魚の大きさにはだいぶ慣れたつもりだったけど
バーガーから自己主張激しく飛び出る
お魚さんにはやっぱり驚く。

お味は
スタッフのお姉さんが「自信作です!!」と鼻息荒くおススメしてくれたとおり
肉厚で、美味しくて
これは朝から食べ過ぎたな、と自分に突っ込んでおいた。

いざ、クルージングが始まると
寒くて寒くて震えながら
それでも、知床をの景色を見逃さないぞ、という
気合い満々で望んだ。

知床に関しては、ナレーションを書くために結構調べたから
少しだけ知識があった。
…とはいえ、仕事が終わると忘れてしまう程度の知識。

それでも、実際にナレーションを書くために調べた地形や
滝を目の前にすると、うっすらと記憶が蘇る。

やはり、映像で見るのと直に見るのとでは全く違う。
切り立つ岩のゴツゴツした荒さまでは
わからなかった。
下手に近づくと傷つけられそうな感じ。

印象的なのは滝の名前だ。
「男の涙」や「乙女の涙」といったもの。

「乙女の涙」のちょうど背面にあるのが「男の涙」という滝。

男は背中で泣くのだそうだ。

そのわりには結構な水量で
背中で大泣き、というなんとも
現代の男の子特有の感じに笑ってしまったのだった。


2012年6月26日火曜日

女知床一人旅 その2

あらかじめ申し込んでいた
知床岬へのクルージングまでの時間を
バスのターミナルで過ごしていたら
何度かバスの時刻を確かめにきた人がいた。

彼の名前はキム。
横浜在住のコリアンだった。

ベンチの隣に座った彼と
久々に話す英語に戸惑いながら
どこから来たか、とか
今日をどう過ごすか、とか
この先どこを旅するか、といった
旅人同士の会話をした。

その瞬間、外国にいるみたいで
昔、1人で海外を回っていた頃を思い出した。

「知床岬のクルージングを申し込んでいるんだ」
と言う私に
彼が放った言葉は破壊力を持っていた。

「多分、それ出来ないよ。だって、霧がすごいんだから。
僕もさっき出来ない、って言われたんだ」

「そんなことないでしょ、だって天気予報は晴れだよ」
私は彼に答えながら
さっき歩いたときに気になった霧の存在を思い出した。

電話でクルージング会社に確認したら
案の定「霧のため船は出れないかもしれない。
でも、出る可能性もあるからひとまずオフィスに来て」とのこと。
もし、船が出るなら僕もそれに乗る、と言う
キムと一緒にオフィスに向かった。

出るよね、船出るよね?と頻りに言う私に
苦笑いのキムと向かった先で出ていた結論は
「霧のためクルージングは中止」ということだった。

深夜バスで知床に到着し
朝からクルージング、という
私のプランニングは完璧だったはずなのに
早速くるってしまった。

その私に追い打ちをかけたクルーズ会社の人の一言。

「天気予報、滅多に当たらないんですよ〜。
たまに当たったら、あぁ今日は当たったね、って感じですよぉ」

そうか。
北海道は外国だった。

私とキムはとりあえず、
オフィス併設のカフェでなんとなく時間を過ごすことにした。

2012年6月25日月曜日

女知床一人旅 その1

北海道を去る前に
どこかに1人で旅に出ようと思った。

旅が好きで
有り難いことに仕事も旅に絡んだものが多い私。

でも
昔から海外ばかりに目がいって
日本を旅する、ということをあまりしていなかった。

北海道も今回の仕事がなければ
こんなに長期で滞在することもなかっただろう、と思う。

選んだ場所は知床。

「死ぬ前に一度行ってみたい」と父アキラが言っていたので
本当は一緒に行けたらよかったのだけど
急に決めたのでやはり1人で。
彼には「下見してくるよ」とだけ告げておいた。

「知床には一度行ってみたい」と私も思っていた。

2年くらい前に
日本の美しい景色を集めた販売用DVDの
ナレーションを書かせてもらったことがある。
日本全国の色々な場所を書かせてもらったのだけど
中でも印象に残っていたのが
知床だった。
特に流氷の映像は
想像以上の世界が広がっていたので
一度、自分の目で見てみたいと思った。

流氷の時期でないのは残念だけど
今の季節には今の良さが必ずあるはず、と出かけた。

札幌から深夜バスで約7時間。

酔っぱらってバスに乗車したので
乗車と同時に眠りにつき
睡眠時間はバッチリ。

確認した天気予報は晴れだった。

きっと素敵な旅になるにちがいない、と
ワクワクしながらウトロの町に降り立った。

朝6時半。
町は眠っていた。

聞こえたのは水の音。
見えたのは海と数羽のかもめと
セイコーマートの灯り。
想像していた通り、風が冷たい。

少し歩いてみたけれど
あいている場所はどこもなかったので
セイコーマートで温かいお茶を買って
バスのターミナルで
町が動き出すのを待つことにした。

ただ一つ。
気になったのは
町に降り立った頃より増えている霧。

大丈夫。
天気予報は晴れだったんだから。

2012年6月21日木曜日

ハンサムな女

「あれ? そんな顔だった? プチ整形?」

東京に戻って
久々に会った人からプチ整形疑惑が持ち上がった。

「札幌とか言って
本当は韓国経由だったんじゃないのぉ??」

その反応は

関西人気質の私としては
かなりおいしくて

あらゆる場所でネタに使っているのだが
実際のところ
プチ整形はしていないので
なんか変わった原因はメイクだろうと思う。

女の人は本当に
メイクで印象が大きく変わる。

北海道でファッション関連の番組に
携わらせてもらっていた時に、間近でその事実を見続けた。

私も普段メイクをするけれどいたってナチュラル。
というか、そんなにしない。

メイクをするようになって約15年。
何度かは自分に似合うメイクの研究を試みたこともあるが
なかなかうまく終着しなかったため
まぁ、こんなもんでいいだろう
みたいな取り組みだった。

そんな私のメイク魂に火を灯した女性がいる。

その北海道の番組で
番組レポーターである素人の女の子達の
ヘアメイクを担当してくれていた女性、あいちゃんだ。

一番最初に会ったときの彼女は
黒いキャップを被っていたけど
その下に見える力強い目元と凛とした表情が印象的だった。

しかも、私よりも5歳程年下の彼女は
色々な意味で私よりもはるかにしっかりしていた。

格好いい女性。
そう思った。


その後、番組でメイク特集を組んだ時
彼女が番組ゲストとして出演してくれることになった。

彼女は「女性はみんな輝ける。
女性がキラキラ輝く、そのための一歩にメイクを使ってはどうでしょう?」
というような提唱をしていて
メイクレッスンや、お出かけ前のメイクを施してくれる
メイクアップサロンなども経営している。

メイクで綺麗に身支度を整えることがゴールではなく
明るく生きていく手段や通過点の1個がメイクであるという考え。

その考え方が素敵だし
彼女は本当に魅力的な人だな、と思った。

そして、こういう話を彼女の口からしてもらったら
女の子はメイクの捉え方を変えるかもしれないし
彼女を掘り下げることで
この先、何がしたいかわからないと思っている
女の子達の何かの1歩になるかもしれない、と思った。

だから、メイク特集といいながら
メイクのHow toだけに収めず
彼女がなぜ
メイクというものを使って仕事をするようになったのか?
というような話までしてもらう構成にした。

私は構成を書く時
私の師匠だと思っている方の話を思い出していた。

「なぜその物事を始めたか。というきっかけが大事。
それさえ忘れなければ、ずっと続けていく原動力になる」

彼女のきっかけを聞くことで
彼女自身の人生が見えて、
それが誰かの何かのきっかけになったり
きっかけを思い出す一つになるはず…

北海道ローカルだから、ということもあるのだろうけど
メイクだけでなくあいちゃん自身を掘り下げていく構成は
そのまま、採用されることになった。

収録現場で
私は話す彼女の目の前にいながら
私自身の子供の頃のことを思い出していた。

彼女は、自分の顔や体が好きじゃなかったのだそうだ。
そのコンプレックスをパワーとして
自分の顔をいじったりするようになり、
そこから、メイクやおしゃれが好きになって
今があるらしい。

私も自分の顔が好きではなかった。
今でもそんなに好きじゃない。

憧れのパッチリ二重でもなく
ただただ、印象の薄い顔だなぁ、と子供の頃から思っていた。

でも、眉毛だけは父親譲りの立派な眉毛で
「凛々しい綺麗な眉毛ね」と誰かに褒められる度に眉毛を抜き、
「睫毛が長くていいね」と言われると睫毛を抜いた。

顔が嫌いだから
褒められることで顔を見られるのが嫌で
褒められる要素をなくそうとしていた。

昔程のコンプレックスはいつからか消えたけど
それでも
完全に抜けたかというとそうでもないと思う。

まさか、メイクで
自分の顔を好きになれるかも、なんて考えたこともなかった。
30も半ばになってその事実に気づくなんて衝撃だ。
誰かの何かの気づきになれば…なんて思っていたのに
自分自身が何かに気づいてしまった。

彼女のおかげで
色々な意味でメイク特集の回は私にとって
すごく印象深い回となり
もう少し、女である自分を見直して
自分の顔も好きになり
自信を持った生き方をしてみたい、と思った。

そのきっかけの一端をメイクに担ってもらうことも
それはそれで、女性に与えられた特権かもしれない。

今より15kgくらい太っていた頃に
トミコに言われた言葉を思い出した。

「あんたは、ある程度の年齢を重ねてしまったから
内面は今更そんなに変えられないけど
外面はいくらでも変えられるんだから、とりあえず痩せて外面を綺麗に磨きなさい。
そんなんじゃ寄るものも寄り付かない」

確かに外面は心がけ次第で変えられるのだ。
その時は外見全体を指していたけど
顔だってそうだ。
自信がないと自信がない表情をしてしまうのだろう。
メイクをきっかけに表情だって変えられるだろう。

そんな気づきをくれたあいちゃんに感謝をしつつ
私は今日もメイクをする。

2012年6月16日土曜日

かもめになりたい

昔、スコットランド人のバジルという友達に
「生まれ変わったら何になりたい?」と聞かれて
「鳥になりたい」と答えたことがある。

なんでも理由が知りたいバジルは
その後「なんで? 何鳥?」と私を質問攻めにした。

なんでかは「空を飛びたいから」だけど
何鳥になりたいかなんて
特に考えたことなかった。

でも、そう答えたらきっとまた質問の嵐が始まるから
そっとしておいてほしかった私は
「かもめ」と答えた。

そうしたら
「トシコはカラスが嫌いだと言っていたのに
鳥になりたいのはおかしい」と言い出した。

確かにカラスが大嫌いだ、とバジルに言ったことがある。
特に都会のカラスが嫌い。

下手したら襲いかかってくる。
昼休みに公園でご飯を食べていたら
カラスが頭に止まって、お惣菜を盗まれたこととか
食肉市場から肉をついばんでほこらしげに
飛び立った、あの目とか
忘れられない。

でも、カラスは嫌いでも
かもめは嫌いじゃない。

鳥全部が嫌いなんて言ったことない。

話がどう決着したかは覚えてないのだけど
なんでも感覚で答えると
こうして矛盾を生むのかしら…
と当時、思ったはずだ。

海育ちの私は
昔からかもめをよく見ていた気がする。

だからなのか
かもめを見るといつも少しだけ心が躍る。

北海道でも
かもめをよく見た。
小樽、稚内、知床…
かもめを見ると必ずシャッターを押してしまう。

何も遮るもののない空を飛ぶ彼らを見ると
私もどこまでも飛んで行けるんじゃないか
という気にさせられる。

森を飛ぶ鳥達よりも自由に見える。

だから
かもめになりたいと思ったのだろう。

そんな私。

今、生まれ変わったら何になりたいかと問われたら
違う答えを用意している。

来世でなるには
現世で何をすればいいんだろう。

2012年6月14日木曜日

創成川を散歩

 「どこに住んでいるんですか?」

何度か札幌滞在中に聞かれた。

「札幌駅を背中にして、
創成川をもう少し超えたところです」

一人で街を歩く時に
私の目印になっていたのが
テレビ塔とこの創成川だ。

創成川は札幌市を東西に画する起点なんだそうだ。

言っちゃ悪いけど
そんなに特別綺麗な訳ではない。

でも、なんとなく
この川が好きで
一人で歩きながら
写真を撮ったり
上から川をただ眺めたり
無意味に川沿いを歩いたりしていた。

私は実家が神戸なので
山も海も馴染みがあるけど
川は馴染みがない。
神戸で川沿いを歩いたことってない気がする。

大阪から友達が来た時
二人でこの創成川沿いを歩いた。

「なんか好きなんよ、この川」と言ったら
「うん。なんかわかる」と友達は応えた。

なんで好きなのかはわからない。

私は、物事に理由が必ずしもないといけないとは
思っていなくて
「なんとなく」も理由の一個としてあげていいと思っている。
…仕事のときはそんなこと言ったらダメなのだろうけど。

好きなものに共通している理由から考えると
創成川は
自分が立っている場所から
その先に続いていく感じが
目に見えているから、
好きなのかもしれない。

なんて、
頑張って理由を考えてみたけど
まぁ、たぶん
なんか好きなだけなんだろうな。

創成川とテレビ塔のコラボは
私の中ではテッパンです。





2012年6月13日水曜日

ザ・札幌観光

札幌滞在中の
ある2日間。
大学時代の友達が札幌に遊びに来た。

彼女に「どこに行きたい?」と訊ねたら
北海道自体がはじめてだから
ものすごくベタな札幌観光がしたい、と言った。

彼女の希望を聞いて
羊ヶ丘展望台からスタートした。

札幌に住む方には、
特に何もないよ…と言われていたので
行ったことなかった場所。

行ってみたら
目の前に広がる街々と
光る札幌ドーム
全身のクラーク博士像に
牧歌的な羊達。

ものすごくあるじゃない!と感動するミドサー女子二人。
でも、他にもテンションあがっている
元気な観光客が山ほどいたので
目立たなかった。

クラーク博士のあのポーズは
遥か彼方にある永遠の真理を差しているのだそう。

吹き抜ける風が心地よくて
ただ、芝生を歩いてみた。

緑に染まってきた白樺の木も素敵だし
こんな空間、なかなかないと思う。

きっと北海道の人は見慣れすぎたんじゃないだろうか。
これだけ、自然に囲まれる場所って
都会にいるとそれだけでテンションがあがるものだ。

その後
行く場所、行く場所
なんで私、滞在中に来てなかったんだろう?という場所の連続だった。

友達曰く
「雪に覆われてたからやろ?」

そうだ。
そうだった。
そんなことすらすっかり抜けていた。

来たときに真っ白に覆われてふわふわしていた街は
緑と光が透ける固い街になっていた。

その街を
もう17年の付き合いになる友達と
この数ヶ月に考えた地方性の話やら
先の話やら
人間性の話なんかをしながら
歩きまくった。

最後に彼女が一言。
「としちゃん、
今度もし誰かと北海道を旅することがあったら
時々休憩入れた方がいいよ」

自分が数ヶ月暮らした街を
長年の付き合いの友達と歩くことが嬉しくて
歩かせすぎたみたいだ。

2012年6月7日木曜日

再び、北海道。そして、帰京。

一度、東京に戻り
再び北海道に行き、2週間程滞在して
そして6月の今は東京の自宅にいる。

北海道での仕事が終わったら
ブログも更新しないままに
札幌での引っ越し作業に追われた。
今年は既に何回、荷造りしてるんだろう。
引っ越しもしたから結構な数だ。

いつだって去り際はバタバタする。
今回も同じく。

たった3ヶ月。
されど3ヶ月。
その間に増えた荷物は
全くもって片づかなかった。

捨てるつもりで持っていった
鍋やら
壊れた体重計やら
ボロボロのブーツやら
荒ゴミをどうやって捨てていいのやら…
と悩んだりしながら
荷物をまとめて
お世話になったマンスリーマンションを退出した。

東京に戻って3日。

札幌から送り出した荷物を受け取り
部屋もだいぶ片付いた…と言いたいところだけど
まだ片付かない。

そうしていても
仕事の打ち合わせに出かけたり
久々に会う人と飲みに行ったり、と
東京の日常にとけ込み始めている。

そんなもんだと思う。

知人と飲んでいたときに
「北海道ブログ、どう終結させるの?」と聞かれた。

どうしよっかなぁ。

まだ、北海道のことで書きかけの記事もあるし
思い出しながらでも
もう少しだけ更新しようかな、というのが今の気持ち。

久々の東京でも何か思うだろうし。

まぁ、まだ New Daysは続いている、ということで。
Tomorrow is another dayだし。
毎日違う空だから。




2012年5月20日日曜日

東京の空の下オムレツのにおいは流れる

急ぎの仕事が
少し落ち着いたある日。

携帯のタイマーをオフにして
ただ、時間に流されるままに
眠り続けていた。


ふと、目覚めたときに
昨夜降り出した雨があがり
晴れていることに気付いた。


さて。一日中部屋のベッドの上で過ごすか
どうしたものかと考えたとき
ランチにオムレツを食べに行くことを思いついた。


昨日から無性にオムレツが食べたかった


理由は単純。


しばらくぶりに
石井好子さんの「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」のページを開いたら
あまりの美味しそうで幸せな描写に
頭の中がオムレツで一杯になったからだ。


思い立ったが5分後。
ノーメイクで着っぱなしのワンピースに
サンダルを引っ掛けて出かけた。

お目当ては
東京に帰ってきてから、ほぼ毎日通っている
大好きなパン屋さんの併設カフェのオムレツランチ。


そう広くない店内は
13時半を過ぎてもほぼ満員。

メニューを渡されてから聞かれるまでに
5分以上の時が流れた。

忙しそうな様子は丸見えだったので
本を読みながら気長に待つことにした。

通された席のお隣のカップルが
男性はドレッドヘアの黒人
女性がスキンヘッドの日本人で
聞こえてくる会話が英語なもんで
ここはどこだろう、と
自分の居場所がわからなくなった、そのとき。


外国の方特有の
目があったときに
微笑む合図が私にやってきた。


家から五分のカフェが
完全にニューヨークになった瞬間だった。

ぼんやりと
ニューヨークを思いながら
プレーンオムレツを頬張り
達成感で満々になっていた私に
短い英語が響いた。

黒人男性が「美味しい?」と聞いていた。

「とっても!」と答えたら
「それはよかったね」と再度微笑まれた。

「来週末、よかったら僕らと一緒にここでランチしない?」と誘われたけれど
来週末は札幌にいるな、と思い
断った。

その後、
お二人の出会いはニューヨークだったこと
日本に住んで26年になること
危険な香りのニューヨークが好きだったからもう帰ろうとは思ってないこと
など色々話をしてくれた。

最後にお互い名前だけを交換して
また会いましょう、と別れた。

会うかどうかは縁とタイミング次第。

それでも私は
六月の週末にこのカフェに座っているかもしれないし
座っていないかもしれない。

2012年5月14日月曜日

TOKYO

先週末、東京に戻った。
来週には、再度
北海道に行くけれど一時帰京。

東京に着いて驚いたのは
ノースリーブの人がいたことと
サンダルの人がいたことだろうか。

家に帰って私が、真っ先にしたことは
黒いタイツを脱ぐことだった。

札幌へ行く前に
引っ越したばかりの私のマンションの部屋は
思っていたよりも片づいていなくて
落ち着かない。

電気代の催促状が山のように届いていて
慌てて払いに行く。

合間合間に
仕事のメールが入り
なかなか心が休まらない。

マンションの管理人さんにも挨拶に行かなくてはと
お宅訪問をしたら
インターホン越しに女将さんが
「今、番台にいます」と言った。

引っ越したばかりのこのマンション、
なんとお部屋にお風呂がない。

その代わり、マンションの1階が銭湯なのだ。
ここの住人は家賃の支払いと引き換えに
銭湯チケットをもらい
毎日無料でお風呂に入ることが出来る。

女将さんに会うために
銭湯の番台へ伺うと
背筋をピンと張ったおしとやかな彼女が
いつものように上品な笑顔で迎えてくれた。

「まぁ、長い間大変でしたね。おかえりなさい。
お疲れが出ないように、お風呂で温まってくださいね」

単純な私。

この言葉に
あぁ、今のマンションに引っ越してきて良かった、と思った。

東京という場所に暮らしながら
このマンションは人の暖かさが感じられる珍しい場所だと思う。

前にこの部屋に住んでいたのは私のお友達。

札幌に行っている間に
前に住んでいた部屋の更新などがあり、
無駄なお金を払うくらいなら引っ越したい…と言ったら
自分はもう引っ越すのだけど…と今のマンションを紹介してくれた。

35歳にもなって
部屋にお風呂がない生活はどうしたものか、と悩んだのだけど
ネタにもなりそうだし、とりあえず引っ越してみた。

引っ越しをして
すぐに札幌に行ったので
住み心地も何もわからない状態だったけど
女将さんと話をする度に
彼女のあまりの凛とした立ち振る舞いなどの
素敵な女性っぷりに
この人に会えたというだけで
こに住む価値はあったんだな、と思った。

色々な用事が一段落してお風呂に行ったら
貸し切り状態だった。

貸し切り風呂で
3ヶ月分の疲れを洗い流した気分の私は
札幌で出来たお友達とメールのやり取りをしながらも
その後、強烈な眠気に襲われて
ふと気付いたら眠りに落ちていた。

東京1週間のはじまりだった。



2012年5月9日水曜日

締めくくりの街

日本最北端の地、稚内にいる。
まさか、こんな遠くまで来ることになるとは思ってもみなかった。

海の向こうはロシア。
街ではロシア語の看板も見かけた。

来る前にどんな雰囲気なのか
全く想像がついていなかった最北の地は
とにかく寒い。

せっかく札幌で春を迎えたのに
こちらは桜の開花もまだの様子。

一度はずしたのに
モッズコートの裏地に毛を装着して
もう着ないと思っていたのに、再びニットに袖をとおした。

それでも、
この北の地で出会う人々の暖かさや
とってもチャーミングな笑顔や
吹きつける冷たい風も吹き飛ぶくらいの絶景などに完全に心を奪われた。

そんな二日間。
最終日の夜の締めくくりに
一軒のラウンジを訪れた。

そこには、アイロンがきっちりとかけられた白いシャツに
蝶ネクタイ、黒いベストを着たマスターがいた。

ゆるやかに時が流れているような空間で
マスターがふる
シェイカーの音がリズムを刻む。

出されるカクテルは全て美味しい。

贅沢な時間に
完全なるご機嫌さんになった私。

最後のお酒を頼んだ時に
マスターが作ってくれたカクテルは
白いすっきりとした色で
「ダスヴィダーニア」という名前だった。

ロシア語で
「さようなら。また会いましょう」
という意味だとマスターが微笑んだ。

明日、札幌に戻り
明後日、東京に戻る。

10日後に再び
仕事で札幌に戻るとは言え
一度、海を渡る。

約3ヶ月の北海道の生活が
ひとまず終わりを告げようとしているのだなぁと実感した。

2012年5月7日月曜日

相変わらずな私たち

土曜日から来ていた両親が帰った。

久々に会うと、相変わらずの2人に
自分も相変わらずなことを気付かされる。

相変わらず、って
あんまりいい言葉な気がしていなくて
なんとか相変わらずじゃないようにしなくては、
と躍起になって変化を求めた時期がある。

でも、ある頃。
それでいいのではないかな、と思った。

無理に求める必要はなくて
何かを必要とした時に自然に変わったり
変わらないことが必要なこともある。

そうやって生きていった方が
肩の力が抜けて
いきやすい。

写真は父親が
えらく感動した雪山と桜の同居。
北海道の人にとって
桜と雪の同居は珍しくないかもしれない。
それでも、私たちにとっては珍しい。
変わらないことが変化になることもある。

そして今日から3日間、稚内へロケハン&シナハンへ。

あるきっかけで生まれたお仕事の下準備。
変化は求めなくても自然に起こるもの。

その後、少し東京へ。
東京の友達に、もうすぐ帰ると連絡したら
「こっちは何も変わってないから安心して…」
と言われた。


2012年5月1日火曜日

擬人化の法則

SMILE DAYS 第3話 が先週から公開された。

第3話制作中にスタッフ間で話題にあがったのが
冒頭とエンドで熱演を見せる「さくらじまん」くんの存在。

何か鹿児島独自のゆるきゃら人形が
北海道に送られてきたら面白いなぁ、と
思って調べていたら出てきたのが
西郷隆盛の意思を背負った鹿児島PRキャラクターの「さくらじまん」だった。

あらすじを組み立てた時点で
「カイくんのお母さんはきっと君付けをするだろう」と妄想し
提出物に「さくらじまんくん」と君付けで書いていたため
ほとんどの制作陣は
「さくらじまんくん」という正式名称のキャラクターだと思っていたらしい。

揚げ句の果てには
私によって「じまんくん」と愛情をもって略されていたが
これだと、全くの別人だ。

この「君付け」。

ものを擬人化するというのは
関西人の特徴なのかも知れない。

関西のおばちゃんが必ず持ち歩く、という
「飴ちゃん」
(私もいつも持ち歩いている)

飴は「ちゃん」をつけるものだ。

でも、札幌で「飴ちゃん」と言ったら
みんなが「本当にちゃんづけなんだ…」と
いう目でみていた。

たぶん、小さいものや
愛着があるものに「ちゃん」や「さん」付けるのだと思うけど
その後、気になって
他に何かあったかしら、と探し続けている。
子供の頃から擬人化に馴染みすぎて
特別視して探すと見つけられない…

「おいもさん」「おあげさん」「おかいさん(お粥さん)」

あるレストランで食事をしていた時に
あまりに美味しかったのと
ワインを飲んで気分が良かったので
「今日はご機嫌さんやわぁ!」
と言ったら
謙太郎さんと店員さんがきょとんとしていた。

「え?…ご機嫌さん?」
「あれ?言わへんの?」

気分が良くなるとついつい使う「ご機嫌さん」を
関西の人だけが使っていたなんて35年目の真実。
だって、トータス松本も歌ってるやん。
関西人やけど。

ものにつける「さん」とは違うけど
喜びマックス表現は誰がなんといおうと「ご機嫌さん」だ。
朝の挨拶に言う「おはようさん」も関西だけのものなのかなぁ。

カイくんのお母さんがご機嫌さんに送ってくる
さくらじまんくんはとっても癒される。

SMILE DAYS 第3話
http://www.nhk.or.jp/sapporo/smile/movie/03/index.html



食いしん坊 極上ランチ たかはし料理店。


何度か足を運んだ
北海道庁の一番上の階にある食堂「たかはし料理店。

ここはかなりのお気に入り店だ。
なぜなら、ここに行けば極上ランチが食べられるから。

では、何をもって
極上ランチが食べられるお店というか。
それは…
ロケーション。
お店の雰囲気。
働く方の雰囲気。
プライス。
そしてもちろん、お料理の味。

「たかはし料理店。」はすべてにおいて抜かりない。

旅人にとって
市役所とか区役所といった
その土地にある公共の場所はなぜか魅力的にうつる。
私だけなのかな…

誰にも聞いたことないけどこれは持論。

例えばロビーにある石像や地図のパネル
喫茶店や食堂、というものにその土地の地域性を感じられるからだろうか。
どこか知らない土地に行くと
結構、意識して探してしまう場所が役所だったりする。

北海道庁にあるというロケーション。
さらに13階という高層階で
広い窓から見える札幌の街並みに
心躍るのは旅人だけではないはず。

手書き風のイラストが壁に描かれ、
穏やかな雰囲気を作り出している。
スペースも広く、大人数でもゆったりとご飯が味わえるのだろう。

そして、ちょっとほっこりするのが
働くお母さん(ぽい雰囲気)方の笑顔。

このお店はいいお店なんだな、という要素がこの時点で満載。

問題のメニューは
お昼のランチ時は女性用プレートが550円で
そのお皿に自分で好きなだけおかずをもりつけるという
ビュッフェ形式。

それだけでもテンションあがるのに
1品1品のクオリティが半端ない。
どれを食べても当たりなのだ。
北海道のお野菜はどこで食べてもやっぱり美味しいのだけど
どれも素材の味を生かしたお料理で
私はここの大根の煮付けとコロッケの味に敬礼したいと思った。

ちょっと誉めすぎ感が漂うけど
本当のことだから仕方ない。

ここは様々な理由で
何度でも通いたい場所。



2012年4月30日月曜日

食いしん坊 ラーメン 味の時計台

札幌生活終了の5月目前。
書きたまっていた食いしん坊話を
いくつか慌ててアップ予定。

なので…
食いしん坊さんこの指とまれ!

実のところ、自分の食い意地には
自分自身でひくくらいのものを感じる。
というか
実際、自分でひいていることもある。

明日の朝ごはんに…と買ったパンを
夜中に食べるとか序の口。
ちゃんと夜ご飯食べたのに…

その度に「いや、自分、今これ食べんでもいやろ?」
と心ツッコミマシン作動。
でも食べる。

ある食べ物の自分ナンバーワンを探すためだけに
旅に出たこともあった。

日本人のほとんどがブームを忘れているけれど
一世を風靡したお菓子「カヌレ」

その「カヌレ」にはまりすぎて
カヌレの発祥地「ボルドー」へ赴いたことがある。
カヌレ屋さんはもちろん、
パン屋さんやお菓子屋さんを見つける度にお店に入り
カヌレを購入し
固さ確認→割る→写真を撮って断面を確認→食べる
という行為を繰り返して
自分ナンバーワンカヌレを探した。
でも、ナンバーワンカヌレは発祥地ボルドーではなく
イギリスで見つけた。

太らない&お腹がいっぱいにならない体なら
多分、起きてるうちのほとんどの時間を食べることに使うんちゃうかな。

ギャル曽根ならよかったのに…
いや、ギャル曽根に失礼。

もう、牛か。
いや、何も生み出さないので、牛さんに失礼。

なんて食いしん坊エピソードを披露しながら
今回はラーメン屋さんの話。

なんでかわからないけど
無性に「ラーメンが食べたい!」
という気分だったときに行ったラーメン屋さん「味の時計台

「ノーマルな札幌ラーメンといえばここだよ」と言われた。

おそらく、高校の修学旅行の自由行動で行ったラーメン屋さんが
ここのチェーン店だった気がするけど
そうじゃなかった気もする。

とにかく「札幌といえばラーメンらしい」という
ほんの少しの知識だけで
ラーメン屋さんに行き、
とにかく「札幌といえば雪印パーラーらしい」という
ほんの少しの噂だけで
甘いものを食べに行った記憶しかない。

札幌に来た始めの頃に翼くんとラーメンの話をしていたときに
「修学旅行に来た時に、味の時計台でラーメンを食べた気がする…」
と伝えたら「チョイスとしては悪くないよ」と言われた。

でも「どうだった?」と聞かれても全く記憶がなかった。

18年ぶりに食べた味。(のはず)

白みそのラーメンを食べたのだけど
私のラーメン道に白みそってあまりない気がした。
これがノーマルの札幌ラーメンとして私の記憶にインプットされる。

ごちそうさまでした。


2012年4月29日日曜日

一区切り

私が札幌に来たもともとの理由は
4月28日に札幌で開催される
北海道中の女の子たちが集まる
ファッションのお祭り
「サッポロコレクション2012」に向けた
番組の制作に携わるから、ということだった。

それが昨日終わった。

ということは
私の札幌生活も一区切り、ということになる。一応。

色々な思いがあって
今の時点では余韻というものはないのだけど
それって時間が経てば出てくるのだろうなぁ、と思う。

到着した時に雪に覆われていた街は
すっかり春色になり
芝生が整いはじめ
なんと散歩中に土筆の子まで発見した。

神戸の母、トミコに
「一応、一段落したよ」と電話で告げたら
「お疲れやったねぇ。札幌での仕事、全う出来た?」
と聞かれた。

「全う」って何だろう、とふと考えて
全うは出来てないのかな、と思った。

物理的には全うしたのかも知れないけど
1個、何かに携わると
その続きに何かが生まれて
続きの物事に携わると
またその先に何かが生まれる
という連鎖反応が起きる。

全うしようとすると
またその先に何かが生まれるのだ。

北海道でやりたいことができた、という事実が残る限り
全うはできてないよな。

だから、しばらく全うは出来ないんだと思う。

「札幌に行く時何を着ていけばいい? 寒いんやろ? コート?」
トミコが聞いた。

昼間は、もう、そこまで寒くない。
神戸で着ている服に、
脱ぎ着できる服をたせばいいのではないかとアドバイスをした。

来週末、神戸から
母トミコと父アキラがやって来る。

美味しいものでも食べて
自分が少しでも携わった北海道という場所を
見せてあげたいと思っている。

2012年4月22日日曜日

食いしん坊 北華楼 ピスコット

こちらに来てから度々食べるおやつ。
北華楼の ちぎりシュー ピスコット。

人気の品で、夕方になると
もうすでに売り切れていることが多い。
この存在を知ってから食べることができたのは
お店に何度か足を運んで、やっとのことだった。

この待ちに待ったピスコットちゃん。
これが半端なく美味しい。
見た目はちょっと固めのパン風で
生地の上の部分をちぎって、
中のカスタードクリームを
つけながら食べる。

生地はもっちりとしたチーズ風味。
カスタードクリームはまろやか。

このコンビネーションがたまらなく美味しい。

あと、何回この味を試せるのかしら。

今日はおやつはやめておこう、と思っていても
お店の前を通ると
あるかどうかだけ確認してしまう。

やみつき、ってやつだと思う。

そして今日。
お店の前を通ったら
イタリアンミラノシューという
ドーナツ生地のシュークリームの味見をさせてもらえた。

これがまた
ふっかふかの生地が美味で
驚いた。
クリームの美味しさも間違いないし。

おかきといい
シュークリームといい北華楼すごすぎる。

2012年4月14日土曜日

トミコからの手紙

月曜からSMILE DAYSの2話が公開された。

今回、海くんの元に故郷、鹿児島のお母さんから
お手紙と地元の何か、が届く。

このお母さんのモデルは
もちろん、うちの神戸のすっとぼけ母、トミコである。

私が神戸の実家を出てから
トミコからは度々、色々なものが届く。

それは、カップラーメンなどの非常食だったり
どこかへ出かけたときのお土産だったり
青汁サプリメントだったり
としちゃん、好きでしょう? と
なぜかキティちゃんグッズだったり…
(トミコは私が軽めのキティラーだと思っている)

送られてくるものは違えど
必ず一緒に送られてくるのが手紙である。

この手紙は昔から変わらず
縦書きの便箋に書かれている。

そして、形式も昔から変わらない。

普段は決して呼ばない「さん」付けで私を呼び
時候の挨拶があって
何かの言いつけに続き、
時々、トミコ自身がはまっていることについての話題を挟んで
最後は労りの言葉。
締めは必ず「母より」だ。

私の東京の家には
今までに送られてきたトミコからの手紙がファイリングしてある。

このお手紙。
一番最初にもらったのは
小学校の修学旅行のときだったと思う。

学校からの通達で
お弁当にお手紙を入れるように、というのがあったようで
みんな、列車の中でお弁当を食べながら手紙を読んでいた。

そして、自分の手紙を読み終えたあと
友達同士で交換をして読みあったのだけど
トミコの手紙は他のお母さんのお手紙とひと味違っていた。
というか、その頃からトミコ節だっただけの話。
内容は「あなたの帰りを待ちます」ということだったと思う。

いつからか、この手紙に愛を感じるようになった。
おそらく、昔から愛はこもっていたのだろうけど
年を重ねてから、この手紙に込められた愛と面白さに気づいた。

だから、謙太郎さんとSMILE DAYSで
毎回お母さんから何かが届くことにしよう、という話になったとき
すっとぼけた贈り物(けれど本人は真剣)と
縦書きの手紙が送られてくることにしようと思った。

この設定を決めてから
トミコから神戸名物のいかなごと共にお手紙が届いた。
やっぱりそこには愛がこもっていて
思わず笑ってしまった。
そして変わることのない形式も生きていた。

「季子さんへ
春の訪れとともにいかなごの季節がやって参りました。
お世話になっている方々に食べて頂きなさい。
北海道の厳しい寒さに負けないように体調管理をしてくださいね。
みなさまによろしく。
母より」

撮影前に海くんのお母さんになったつもりで
手紙を書いているのだけど
故郷を出て
一人暮らしを始めたばかりの
今の海くんには
私の愛はちょっと伝わりにくいんだろうな、と思っている。

それでもいつか
彼も大人になったら、母の愛に気づくんだろう。

それでいいんじゃないかと思う。

Webで海くんのなりきり母(私)が書いた
トミコモデルのお手紙が全文読めます。

愛、こもっているでしょうか?

SMILE DAYS ふるさとだより
http://www.nhk.or.jp/sapporo/smile/movie/02/index.html

2012年4月12日木曜日

春がきた

札幌の街から雪が消えた。

こんなに暖かい陽気を感じることができるなんて
思わなかったなぁ。

2ヶ月前に来たときとは
まったく違う景色に
思わず顔がゆるんでしまう。

ベンチに座っている人までいるなんて。

春なんやなぁ。

一昨日、母親のトミコと電話しながら歩いていたら
電光掲示板の表示が10度を越していたので
嬉しくなって伝えてみた。

「神戸は今何度?」と聞いたら
「お父さん! 今何度?」と父親のアキラに呼びかける声が聞こえた。

「10度やって。一緒やな」とトミコ。

あら。同じ気温なんてことがあるんや、と不思議に思っていたら
「札幌は10度」という父親の声が遠くで聞こえてきた。

うん。だからそう言ったやんか。

ちなみに神戸は21度だったよう。

相変わらずのおとぼけ母との会話は
春だからではない。

それでも春です。

2012年4月9日月曜日

キラキラのよさこい

大学生って独特のキラキラをもっていると思う。

出会う人も多い。
自由な時間も多い。
大人扱いされる機会も多い。
お酒の味を覚えたり
朝まで友達と語ってみたり
将来に悩んでみたり
思いっきり何かに打ち込んでみたり。

今日から公開される
SMILE DAYSの第2話では
サークルに打ち込むたくさんの北大生たちが
エキストラとして協力してくれた。

撮影時には
彼らの勢いに圧倒され続けた。

特に笑わせてもらったのが
よさこいサークルの皆さん。

撮影前に一度打合せをしたのだけど
そのときから
キラキラっぷりがすごかった。

「どうして私たちのサークルを選んでくれたんですか??」
と目をキラキラ。

こちらのリクエスト以上に
提案までしてくれてキラキラ。

撮影当日も
テイクを重ねる度に
自分たちでダメ出しをして
そのキラキラは
どんどん勢いを増していった。

歌いながら登場する彼らに
私たちはずっと興味津々で
歌を覚えようとしているスタッフまでいた。

そのスタッフが目をキラキラ輝かせながら言った
「だって、人生でこんなに歌いながら踊ることってある?? すごいじゃない!?」
は、名言だった。

私が話をした男の子は単刀直入に
「よさこい見た事ありますか?」と聞いてきた。

実は見た事がない。

道外の私は北海道と聞くと
「よさこい」というイメージが
何番目かに出てくるし
道外でも見る機会はあるはずだけど
それでも見たことがない。

昔つきあっていた人が
遠距離恋愛中に
よさこいにはまり、
「いつかよさこいを見て欲しい」
と言っていたけど
見ないまま別れてしまった。

「よさこい」と聞くと
その人がちらつく。
そして、今もよさこいを踊っていると
風の噂で聞いたことがある。

北大の男の子に
「なんでよさこいなの?」と質問してみたら
疑いのない笑顔で「楽しいんです!」と言った。

確かに彼らは楽しそうだった。

撮影が終わった別れ際、その男の子は
「よさこい、東京にいても見れる機会あると思うので一度見てみてください!」
とまた目をキラキラさせた。

こんなにキラキラされたんじゃ
見ない訳にはいかないな、と思った。
見れるかな。

明日は、SMILE DAYSの2回目のロケ。
どんなキラキラに出会えるか楽しみだからなのか、
単純に緊張しているのか
4時起きに備えて眠りたいのに
眠れない。

楽しみたい。

http://www.nhk.or.jp/sapporo/smile/

2012年4月1日日曜日

最後の悪あがき

4月になったし、少し暖かい日も増えてきてるけど
それでも気がつくと吹雪いたりする札幌。

あと1週間は雪が降る、とニュースで聞いて
「おいおいおいおい…もう4月やで〜」
と嘆かわしい気分になっていた。

東京の友達からは
「週末には桜が咲くよ」だとか
「4月に入ったら、仕事そっちのけでみんなで花見をするんだ」だとか
桜絡みのメールが数多く届き、
実家のトミコにいたっては
「少しやけど、サクラ! 頑張って咲いてるで!」という
リアルレポートが繰り広げられた。

北海道の桜の見頃はゴールデンウィークらしい。
5月のあたまに東京に帰る私は
たぶん、見頃を迎えられないままに東京に帰る可能性もあり
その頃は、すでに桜の影がないんだろう、と思う。
なんとなく悔しいな、と思っていた。

そんな時。ある人に
「冬将軍は今の時期が過ぎたら、11月まで戻ってこれないんだぞ?
あいつらの最後の悪あがきぐらい大目にみてやってよ」
と言われた。

そんなこと考えたこともなかった。

こっちに来てから
北海道の人の冬の寒さに対する捉え方が違うな、
と思うことが多い。

「つらいのは今だけなんだから、いいじゃない。
このつらい、ひとときが過ぎたら
また、絶対! いい時期が来るんだからさ」
と、悩む後輩を先輩が、未来は明るい、と励ます感じ。
ちょっと妄想だけど。

そんなことを思いながら
冬の間に勢いを振るっていた冬将軍が
「やだやだやだやだ! まだ帰りたくないよー! 
まだまだやりたいことがあるんだよー!」
とごねながら、
雪を降らしたり
冷たい風を吹かす姿を想像したら
途端に憎めない奴に思えてきた。

そして「いいよ、いいよ。もう一暴れするのを許してあげるよ」
と寛大な気分になった。

ゲンキンだけど、全ては考え方だよな。

そんな4月のあたま。

写真は冬将軍が暴れたあとに
車が少しだけ通った感じがわかる道路。
この感じ、子供の喧嘩みたいで嫌いじゃない。



2012年3月29日木曜日

気持ちは上向き、視線は下向き

春が来ない。
春が来ない。
と思っていた札幌にも春が来た。

今日は10度を超える気温。

さすがに半袖のおばさんを見た時は
いや、いや、いや、いや…やりすぎでしょ?と思ったけど
それでも、日差しや空の色、
肌に感じる空気が暖かくて
人々の顔も明るいな、と思った。

街を歩く人のファッションも薄着になって
冬服しか持ってこなかった私には
後悔しかない。

私が札幌に滞在する4月末までは絶対寒いわ…
と勝手に想像して
冬服と冬コートしか持ってこなかったのだ。

3月に入った時に
ファーのついたコートを着ていたら
翼君に「3月は春だからファーを着たらダメ」と注意された。

その話を仲良くなったきおちゃんにしたら
「私も寒いけど春コートだよ」
と言われた。

どさんこは春が待ち遠しいから
多少寒くても薄着をするらしい。

それを聞いてから
3月にタートルネックを着るのをやめてみた。

でも、とっても寒い春だ。

謙太郎さんが少し前に
「上を向いて歩けるということは春なんだ」と言っていた。

確かに札幌に来てから
雪で滑るのが怖くて下を向いて歩いていたけど
雪がとけてきたら上を向いて歩ける。

けれど、私には雪がとけてきても
下を見ながら歩くことが面白い。

真っ白だった雪の壁が
真っ茶色に染まっていたり
雪で見えなかった地面の色が見えてきているのが
リアルに春を感じれる。

いろんな春があるよなぁ。

それでも、今週末はまた冷えるんだとか。

2012年3月28日水曜日

そのさきにあるもの

今週から「SMILE DAYS」という
ミニドラマが公開された。

NHK北海道で30秒版がオンエアされ
同時にWebで1分版が公開される。

私は札幌に来る前からこのお仕事に携わりはじめ
札幌に来てからは『スマイルづけの日々』を送っている。

立ち上がったばかりのプロジェクトで
忙しいけど
物事が形になる過程を
純粋に楽しいと思えるプロジェクト。

後々、時間が経ったときに、
つらかったことも帳消しになって
あの仕事は楽しかったな…と思えることは結構ある。

それも本心だし、時間がたってからわかることも多い。
けど、過程を楽しめるというのは
少しは冷静に関われているのかな、とも思う。

このお仕事は
まだまだ続いていく。

続いていく中で
きっと、しんどいことも色々出てきて
楽しい…じゃ済まされないこともでてくるんじゃないかと想像する。

でも、原点に戻る、という方法を取りながら
関わっていきたいと思う。

この物語の主人公の海くんは
大学に入学したことをきっかけに
鹿児島から1人で北海道にやってきて
新しい生活をはじめる。

最初に設定を聞いた時に
私と一緒だなぁ、なんて思った。

毎日、色々な出来事に巻き込まれながらも
それでも笑顔で過ごせるように。

その先にはきっと
もっと楽しいことがあるはずだと信じて。

NHK北海道ドラマ SMILE DAYS
http://www.nhk.or.jp/sapporo/smile/

2012年3月25日日曜日

もう1人のおじちゃん

今のマンスリーマンションに住み始めて約1ヶ月。

管理人さんが2人体勢のマンションで
今日初めて、2人のうちの
もう1人の管理人さんとお会いした。

偶然、2回エレベーターに乗り合わせたのだけど
2回目に乗り合わせた時に
「最近入られたのですか?」と聞かれた。

入居のときに
管理人さん立ち会いで今後の説明を受けたときも
例のシャワー事件のときも
その後の火災報知器検査のときも
マンション前でゴミの整理をしていたのも
もう1人のおじちゃんだった。

一昨日、管理人室にいた
もう1人のおじちゃんと目があったとき
笑顔で出てきてくれた。

「なんか困ったことない?」

特に困ったこともなく快適に過ごしている、
と言ったら

「よかったよ。この前入ったばっかりなのに
えらい迷惑かけちゃったからさ。気になってて」

と笑顔になった。

そのまま、世間話をしていた流れで
「4月からも、おじさんたち2人とも契約更新になりました」
と言って、更に嬉しそうな笑顔になった。

急にそんな話が出てきて
びっくりしたのだけど
そうか、契約更新がないかもしれない…なんて
そんな話があったのか、とおじちゃん達の気持ちを垣間見た。

「そうなんですね。でも、良かったですね!
おじちゃんがここにいてくれたら安心ですね」
と言ったら
「これからもよろしくね。困ったことはなんでもフォローするから」
と答えてくれた。

後1ヶ月でこのおじちゃんに会えなくなるのかぁ、と思ったら
急にさみしい気持ちになった。

そして今日お会いしたもう1人の管理人さんも別れ際に
「なんか困ったことがあったらなんでも言ってくださいね」
と笑顔で言っていた。

そうか、この管理人さんも契約更新になって
嬉しい気持ちでいっぱいなのかな、と思ったら
会ったばかりのおじちゃんにも
少し愛着がわいてしまった。