2012年3月29日木曜日

気持ちは上向き、視線は下向き

春が来ない。
春が来ない。
と思っていた札幌にも春が来た。

今日は10度を超える気温。

さすがに半袖のおばさんを見た時は
いや、いや、いや、いや…やりすぎでしょ?と思ったけど
それでも、日差しや空の色、
肌に感じる空気が暖かくて
人々の顔も明るいな、と思った。

街を歩く人のファッションも薄着になって
冬服しか持ってこなかった私には
後悔しかない。

私が札幌に滞在する4月末までは絶対寒いわ…
と勝手に想像して
冬服と冬コートしか持ってこなかったのだ。

3月に入った時に
ファーのついたコートを着ていたら
翼君に「3月は春だからファーを着たらダメ」と注意された。

その話を仲良くなったきおちゃんにしたら
「私も寒いけど春コートだよ」
と言われた。

どさんこは春が待ち遠しいから
多少寒くても薄着をするらしい。

それを聞いてから
3月にタートルネックを着るのをやめてみた。

でも、とっても寒い春だ。

謙太郎さんが少し前に
「上を向いて歩けるということは春なんだ」と言っていた。

確かに札幌に来てから
雪で滑るのが怖くて下を向いて歩いていたけど
雪がとけてきたら上を向いて歩ける。

けれど、私には雪がとけてきても
下を見ながら歩くことが面白い。

真っ白だった雪の壁が
真っ茶色に染まっていたり
雪で見えなかった地面の色が見えてきているのが
リアルに春を感じれる。

いろんな春があるよなぁ。

それでも、今週末はまた冷えるんだとか。

2012年3月28日水曜日

そのさきにあるもの

今週から「SMILE DAYS」という
ミニドラマが公開された。

NHK北海道で30秒版がオンエアされ
同時にWebで1分版が公開される。

私は札幌に来る前からこのお仕事に携わりはじめ
札幌に来てからは『スマイルづけの日々』を送っている。

立ち上がったばかりのプロジェクトで
忙しいけど
物事が形になる過程を
純粋に楽しいと思えるプロジェクト。

後々、時間が経ったときに、
つらかったことも帳消しになって
あの仕事は楽しかったな…と思えることは結構ある。

それも本心だし、時間がたってからわかることも多い。
けど、過程を楽しめるというのは
少しは冷静に関われているのかな、とも思う。

このお仕事は
まだまだ続いていく。

続いていく中で
きっと、しんどいことも色々出てきて
楽しい…じゃ済まされないこともでてくるんじゃないかと想像する。

でも、原点に戻る、という方法を取りながら
関わっていきたいと思う。

この物語の主人公の海くんは
大学に入学したことをきっかけに
鹿児島から1人で北海道にやってきて
新しい生活をはじめる。

最初に設定を聞いた時に
私と一緒だなぁ、なんて思った。

毎日、色々な出来事に巻き込まれながらも
それでも笑顔で過ごせるように。

その先にはきっと
もっと楽しいことがあるはずだと信じて。

NHK北海道ドラマ SMILE DAYS
http://www.nhk.or.jp/sapporo/smile/

2012年3月25日日曜日

もう1人のおじちゃん

今のマンスリーマンションに住み始めて約1ヶ月。

管理人さんが2人体勢のマンションで
今日初めて、2人のうちの
もう1人の管理人さんとお会いした。

偶然、2回エレベーターに乗り合わせたのだけど
2回目に乗り合わせた時に
「最近入られたのですか?」と聞かれた。

入居のときに
管理人さん立ち会いで今後の説明を受けたときも
例のシャワー事件のときも
その後の火災報知器検査のときも
マンション前でゴミの整理をしていたのも
もう1人のおじちゃんだった。

一昨日、管理人室にいた
もう1人のおじちゃんと目があったとき
笑顔で出てきてくれた。

「なんか困ったことない?」

特に困ったこともなく快適に過ごしている、
と言ったら

「よかったよ。この前入ったばっかりなのに
えらい迷惑かけちゃったからさ。気になってて」

と笑顔になった。

そのまま、世間話をしていた流れで
「4月からも、おじさんたち2人とも契約更新になりました」
と言って、更に嬉しそうな笑顔になった。

急にそんな話が出てきて
びっくりしたのだけど
そうか、契約更新がないかもしれない…なんて
そんな話があったのか、とおじちゃん達の気持ちを垣間見た。

「そうなんですね。でも、良かったですね!
おじちゃんがここにいてくれたら安心ですね」
と言ったら
「これからもよろしくね。困ったことはなんでもフォローするから」
と答えてくれた。

後1ヶ月でこのおじちゃんに会えなくなるのかぁ、と思ったら
急にさみしい気持ちになった。

そして今日お会いしたもう1人の管理人さんも別れ際に
「なんか困ったことがあったらなんでも言ってくださいね」
と笑顔で言っていた。

そうか、この管理人さんも契約更新になって
嬉しい気持ちでいっぱいなのかな、と思ったら
会ったばかりのおじちゃんにも
少し愛着がわいてしまった。

2012年3月18日日曜日

女は赤で

2年半前の夏。私は札幌にいた。
以前勤めていた会社の仕事で10日間くらい滞在していた。

その間に2回訪れたお店がある。
日下公司」という革製品のお店。

店舗の中に公房があり
作業をされている姿が見える。

ご夫婦で製品を作られているその姿に
商品に対する姿勢が見えて
きちんと使いこなしたい、という思いが生まれる場所だ。

そのとき、私はティッシュケースを探していた。
でも、探しているものほど
お気に入りって見つからなくて
根気よく探し続けていた。

「日下公司」で見つけた革のティッシュケース。
これだ!と一目惚れしたのだけど
残念ながら赤色はなかった。

ある少年が私に言った印象的なセリフがある。

「男は黒だ、ってパパが言ったから」

何の話をしていたのかは忘れたけど
何かの色を選ぶときに
「なんで黒なの?」とでも聞いたんだと思う。

なんだかすごく説得力があって
「じゃぁ、女は赤か」と、それ以来
身の回りの小物を赤色で揃えはじめた。

いまや、キーケースもペンケースも
iPhoneカバーも名刺入れも赤色である。
名刺の文字も赤色にした。

日下さんにお聞きしたら
ティッシュケースは
そのときにある、革のハギレを使って作られているとのことで
次に何色で作るかはわからない、とのことだった。

「赤が欲しいんです!」とアピールしたところで
ないものはないので
「○日後まで札幌にいるので、その間にまた見にきてみます…」と
後ろ髪をひかれながら店を去った。
多分、5日後とか、
1週間なかった気がする。

札幌を去る日が近づいてきた2日前くらい。
ふと空き時間ができたので、日下さんのお店に寄ってみた。

扉を開けると日下さんご夫婦は
「いらっしゃいませ」とだけ言って
作業に戻られた。

どうかな…と思いながら
ティッシュケースの売り場を見たら
赤い色のティッシュケースが置いてあった。
「あ!」と思わず声を出した私に
にやりと笑った(ような気がした)お二人がいた。

「来られるかなぁと思って」

その出来事から2年半。
いま携わっているテレビ番組のゲストに
日下さんをお呼びしていると知った時
それはそれはドキドキした。

日下さんがその時のことを覚えていなくても
あのとき、
ものすごく嬉しかった気持ちだけはお伝えしようと思った。

2年半使い込んだティッシュケースを出して
お話をしたら、
「いい艶が出ましたね〜」と微笑んでくださった。

札幌で出会った忘れられなかった思い出が
よみがえり、
またこれからも続いていくんだと思った。

そして、今
次に札幌を去るときまでに手に入れたい
日下さんの製品がある。



2012年3月13日火曜日

南の風

沖縄から荷物が届いた。
届け主は大学の同級生。

結婚したというので
大学時代の友達と一緒に
お祝いを贈り、その内祝いだった。

彼女は今、日本中に劇場を持つ
某有名劇団の照明のチーフをしている。

東京に家がありながらも
1年の3分の2をツアー公演に出て
日本中を動きまくっている彼女には
ほとんど会うことができない。

1年に1度も会っていない。

気まぐれに、今どこにいるの? とメールしたら
九州にいたり
静岡にいたり
関西にいたりと、
とにかく東京にはいない。

別にそれが普通で
たまに、東京にいるタイミングと
私が暇なタイミングがかちあうと
会うのだけど
お互い久々すぎて
前回会った時に何を話したか思い出せなくて
どれくらい、会ってなかったっけ? というところからはじめる。

でも、話し出すと話は尽きず
何かを食べながらずーっと話をしている。

そういうのは
大学時代から変わらない。

私は彼女と初めて出会った時のことを
なぜか、すごくよく覚えている。

抜きすぎた金髪のような茶髪が
彼女のくっきりとした目鼻立ちを引き立てて
生粋の日本人なのにハーフのように見せていた。

ピンクのセーターを着ていて
顔が少し赤くて
いろんな色が混じっているなぁ、という記憶。

その後、彼女とあと2人の同級生と一緒に
一軒家で四人暮らしを始めたので
なんだか、ずっと一緒にいた、という印象だ。

そんな彼女から届いた沖縄からの贈り物。
彼女は新婚なのに2ヶ月くらい沖縄にいたはず。
そしてなぜか北海道にいる私。

それだけで、なんか、ちょっと面白い。

同じ日本なのに
感じている空気が全然違うことが
よくわかる。

だって
彼女から届いた贈り物は海を思わせるブルーの琉球グラスに
青い海の写真のカード。

完全に違う。

沖縄タイムズ、という新聞に包まれたグラスを出しながら
もっと面白くなってきて
1人で笑いが込み上げてきた。

贈り物一つで
相手が今、何を感じているかってわかるんだな。
心そのものなんだ。

口元にあたる厚みがまた
不思議な感じだ。

2012年3月10日土曜日

昼下がりのさんぽみち

外を歩く人の服装が
少し薄着になり始めた。

夜はまだ寒いけど
それでも日中は暖かくなり始め
雪もとけ始めている。

3月中はまた降ると思うよ。
と言われけれど
それもまた、すぐにとけるんだろう。

金曜日の午後。
一仕事やり終えた感満々に
請求書を持ってお届けに向かっていたら
雪がとけて川になって流れていた。
土筆の子は恥ずかしげに顔を出さないけど
それでも
もうすぐ春なんだな、と思った。

思わず口ずさんだ私。

札幌の街は春が近づくと
とけた雪によって作られる川が出来るとは聞いていた。
でも、あまり想像はついていなかった。

実際に対面すると
本当に川で、
人々は雪の川べりを必死に歩いていた。

札幌での春の足下は
長靴が一番なのだそうだ。

私は誕生日にもらった長靴を着用していたので
ガツガツと川の中を歩き
雪解けの水を足下に感じた。

濡れはしない安心感とは逆に
冷たい水が足下を容赦なく包む。

これが春なのか、とふと思う。

春にはいろんな春があって
別れも
出会いも
状況が一転することも
いろんな春がある。

それって春だけの話じゃないんだけど
春は特に多い。

私は「特に感じる春」にしたいと思う。
同じ感覚は繰り返さないと思う。
だから
ここの春に、今しか感じられないことを
逃さないようにしたい。

色々なことに対して。

2012年3月8日木曜日

If もしも…

朝、仕事に行く前に
テレビを見ていたら
上地雄輔がインタビューに答えていた。

「俳優として評価を受け始めた上地くんへに聞きたいこと」
という質問の中にあったのが
「15年前(18?)の自分に進めるとしたらどちらの道?」
という質問。

A:お馬鹿キャラ
B:俳優

上地くんが迷いなく選んだのがB。
理由は、俳優を目指せばお馬鹿キャラは必ず通るから、とのこと。
だから、まっすぐ俳優を目指せばいい、と。

これを聞いて、すごいな上地、と思った。
どちらの道を選んでも
結局、今ある自分に到達する、ということか、と。

そんなインタビューを見た後、
向かったロケ先は北海道大学。

今日は北大の合格発表の日で
ドラマ内に使用するインサートカットの撮影に行った。

合格発表の紙が張り出される瞬間とか
北大名物のラグビー部による胴上げとか
そういった光景を撮りに行った。

「私は郵送で大学の合否通知を受け取ったから
合格発表は見に行ったことない」
という話をしながら、
もしも、通った大学に落ちていたら、
神戸の女子大に入る予定だったから
そしたら、人生変わっていたかもなぁ、なんて思った。

謙太郎さんも希望の高校に通えていたら、
今とは違う人生だったかも…と言っていたのだけど
受かっていたとしても、やっぱり最終的には
今の自分になっているんじゃないだろうか、という結論に達した。

朝の上地くんと一緒の結論。

今やネットで合格発表を見れる時代なので
それほど多くの人は見にきていなかった。

けれど、見にきている人には
自分の番号を探して、あるとか、ないとか
そこにはいろんなドラマがある。

残念ながら番号がなかった女の子が
肩を抱かれて泣いている場面に出会い
昔、高校受験や就職面接に落ちた時のことを思い出した。

結構、泣いたよなぁ。

いろんなものに落ちたり
断られたりしたけれど
それでも今の私は、
案外やりたい方向に近づいていっているような気がする。

人って後悔したときに
あの時ああしておけば…
あの時こうだったら今頃は…
ということを時々考えるけど
そうではない、と大学の同級生に言われたことがある。

人間はその時点での精一杯できることをしているから
あの時ああしておけば…ということはないのだそうだ。

それを聞いて、楽に生きれるようになった。

そうか、後悔しても
今の自分にはそれ以上はなかったんだな、と。
今の精一杯か、と。

じゃぁ、これからも
その先の
精一杯を進むしかなくて
そうすれば、自然と道は開いてくるもので
遠回りでも
目指す方向に近づくことが出来る。

そんなことを思いながら
合格発表を受け止めた人の
その先を想像したりしてみた。

クラークさんも言ってるし。
青年よ、大志を抱け。って。

思いを持つことなんだよな。
きっと。

2012年3月7日水曜日

おもしろの神様

ある朝。
私のお城に3人の殿方の来客があった。


3人とも座りもせずに立ちっぱなし。


何のためにいらっしゃったかというと
シャワーの修理にいらっしゃっていた。


私のお城の
シャワーの水圧が弱かったのだ。

水圧が弱すぎて
温度をあげても、
シャワーじゃ寒くて耐えられない。
って
海外じゃないんだから! と笑ってしまった。

海外で
1年半の期間、旅番組ロケを行っていた時
シャワーのお湯がでないとか水圧が弱い、
なんて当たり前のことだった。

特にカレーの王国あたり。

最初の頃は
新しいホテルにチェックインする度に
プロデューサーさんや
制作を仕切ってくれる男の子が
「皆さん、部屋に入ってお湯が出るか先にチェックしてください!」
とみんなに注意を促していたけど、
1年くらい経った頃には、
ロケスタッフは言われなくても
ホテルに入ったらすぐに
シャワーチェックを行うのがお決まりになっていた。

「今回出たね!」「私の部屋出ない!」「部屋にでっかいヤモリがいる!」

思い出したら笑ってしまうけど
いい大人が超真剣。

そして、海を渡った北海道は札幌。

日本だからと
入室後のチェックを忘れていた…

誕生日の朝。
朝から管理人さんが来てくれ
色々調整してくれて
「これでどう?」と言われたときは
35度くらいだと水圧が強くなる(40度だと弱い)という仕様。

おじちゃん、
この北国で、35度くらいのにわかお湯では
私の冷えた心と体は温められません。

「そうか」とおじちゃんが
助っ人のマンションお抱えガス屋さんを呼び
2人で右往左往。

そして、1時間くらい過ぎた頃に出た結論が
私たちでは無理だから、業者を呼ぶ、というもの。
申し訳ない!と謝る。


さて、別日にやってきた業者さんとおじちゃん。
あれこれ作業された後に出した結論が
私に出来ることはやったけど完璧ではないから
部品を入れ替えるためにメーカーに問い合わせる、というもの。
申し訳ない!と謝る。


またまた、別日にやってきたメーカーさんと業者さんと
マンションの管理会社の営業さん。
この日は管理人のおじちゃんはお休みだった模様。


シャワーの部品を総取っ換えして
私のお城のヨワヨワ水圧シャワーくんは
新品に生まれ変わった。
本当に申し訳なかった!と謝った営業さん。


別にたいしたこっちゃないわよ、と思っていたし
こんなに何日にも渡って
いろんなおじちゃんが右往左往しながら
出入りするなんて面白すぎる。
無問題です。


「新品のシャワーはどんなもんかしら。
ちょっとシャワー君と対面してから仕事に行くか」
と風呂場を覗いたら、何かの部品のお忘れ物があった。


次の日に管理人のおじちゃんに預けに行ったら
また、おじちゃんが平謝り。


「このマンションで、はじめてのことだから
こちらもフォローできなくてごめんなさい。
もう、びっくりしちゃって…」
とはおじちゃん談。


築7〜8年のマンションで、60室以上あって
はじめての出来事って
これ、もしや私が引き起こしたことなのか?


私にはそういう
おもしろの神様(ときにトラブルの神様)が降りてくる。


要するにトラブルメーカーか…


うーむ。
ま、おじちゃんと仲良くなったからいいかな。

2012年3月6日火曜日

トミコの愛

昨日、
母親のトミコから留守電が入っていた。

「こう…あはっ。神戸のお母さんです。
いかなご、明日、6日、届きます。ので、食べてくださいっ!以上」

一言一句、このままの留守電。
冒頭の「こう」は噛んでしまったらしく
「あはっ」と照れてから言い直していた。

かなりの棒読みっぷりなんだけど
「神戸のお母さん」って、あんた実の親なんやから当たり前やん、とか
「ていうか、頭っから噛んでるやん」とか
突っ込みどころ満載でかなり笑ってしまった。

「いかなご」というのは
「いかなごの釘煮」のことで
ジャコのような小さな魚を甘辛く煮た保存食。
白いお米にものすごくあう、
私の実家がある神戸市垂水区の名物である。

垂水駅前にはいかなごをイメージした「いかなごモニュメント」があり
そのモニュメントからは「いかなGO! GO!」という応援歌まで流れている。
シーズン中には商店街でいかなご祭りが行われ、
いかなご専用の宅急便やゆうパックが登場する。

いかなごは2月末から3月末の限られた期間しか捕れないので
垂水の人たちは、この時期をものすごく待ち望む。
そして、シーズンの間、何度かいかなごを煮る。
捕れる時期によりいかなごちゃん達の大きさが少しずつ変化していくのだ。

うちのトミコも、もちろんそうで
いかなご漁が解禁した時にも電話がかかってきた。
「お店には出てたけどまだ魚が小さいからあかんわ。
小さいうちにたくと団子になんねん」

その連絡から約10日。
待ちに待ったいかなごが届いた。

「いかなごの釘煮」は私にとって母の味だ。

ある年。実家にいた時にいかなごを食した後
「今回の味はどうやった?」と聞かれた。
何が違うかわからなかったけど
なんか違う、と感じたので
正直にそう答えたら
「あら。としちゃん。わかる? これ、お隣の津守さんが炊いたやつやねん」
とのこと。

この時期、外を歩くと
言いすぎな訳ではなく、本当に
各家庭でいかなごを炊いている香りがする。

そして、お互いの味を交換しあうのだ。

これは○○さんとこのいかなご。
これは△△さんとこのいかなご…
お互いの味を否定はせず、○○さんはこういう味付けなのね、とか
△△さんはショウガが多めなのね、とか
お互いの味を品評し合い、お互いの味を楽しむ。

トミコは私に聞いてきた。
「お母さんのと津守さんのと、どっちが好き?」

ここで、トミコの味を選ばないほど
母親思いじゃない娘ではない。

トミコは満面の笑みで「あら、そう?」と嬉しそうにしていた。

でも、これはひいき目ではなく本当に美味しいのだ。
これさえあれば、ご飯何杯でもいける。

春のはじまりの味で、
母の味。

今年は海を渡った札幌で神戸のお母さんの味を頂く。


2012年3月3日土曜日

ひなまつり

私の母親トミコはなんというか
すっとぼけた人で天然である。

昨日の朝の電話での第一声は

「としちゃん、今年もおひな様出してるで。
おひな様はいつ見ても年取らんくて若々しいからいいわぁ。
あんたは年取ったなぁ」だった。

トミコは毎年、ひな祭りの時期には雛人形を出し
ちらし寿司を祀ってからしまう。

そして、毎年「今年もおひな様はかわいい」という報告が入り
いつだかの4月には
まだおひな様が部屋に出ている旨を報告してきた。

彼女曰く「かわいくてずっと見ていたいから
すぐにしまうのがもったいない」んだそうだ。


「雛人形をひな祭りの時期が過ぎても
出していると嫁にいき遅れる」伝説があるけれど
それってトミコのせいなんじゃないかと思った。

今年はあまりに長く出されると嫌なんで
「おひな様、可愛いのはわかったけど、はよしまってな」
と頼んだら
「大丈夫! すぐしまうから!」とわかってる風のトミコの返事が返ってきた。

そんなやり取りがあった夜。

吉岡のお母さんが雛人形をくれた。
くまの形の雛人形とひとの形の雛人形とどっちがいい?
と聞かれ、悩んでひとの方にした。

可愛い。

札幌の私のお部屋は
ものがないからとっても殺風景で
謙太郎さんが誕生日にくれたお花で
少し可愛くなった。

そこに新たに加わった雛人形。
あまりに可愛いから
この部屋に住む4月末まで出しておくことになると思う。

まぁ、いいか。
だって
可愛いからずっと見ていたい。

うれしいきもち

誕生日の夜。
札幌で出会った素敵な人たちが
時間をつくってパーティを開いてくれた。

場所は初日に歓迎会を開いてくれた
すすきのにある「味の蔵 吉岡」

お母さんに、切った髪も見せたかった。

「あら、思いきったねぇ」と迎えてくれたお母さんと
微笑みがキュートなお父さん。

お世話になりっぱなしの謙太郎さんと
笑いと鋭い一言で斬りつける翼くんに
頼れるお姉ちゃんのきおちゃん。

幸せすぎて
ずっと笑ってた。

朝は実の母親トミコの電話に励まされたり
韓国のミジョンとちょっとだけ電話で話せたり
大阪のゆかりちゃんからも電話をもらって喝をいれられたり。

かけがえのない人っていうのは
どこにいたって
何をしてたって
繋がり続けるんやと思った。

ほんまに幸せな1日でとけてしまいそうやった。

最後に出て来た
お母さんが「愛情込めすぎて蒸しすぎちゃった」という
お赤飯ケーキ。
「祝」の文字は紅ショウガ。

突然の演出にびっくりして
思わず泣いてしまったら
なぜかきおちゃんももらい泣きしていた。
鼻水流して泣く35歳女子二人。

私はこうして誰かに誕生日を祝ってもらうたびに
泣いていることに気付いた。

人生で涙を流す量は決まっているらしい。
でも、誕生日に流す涙の量はすでにカウントされている気がする。

ありがとう。

2012年3月2日金曜日

I am not ready.

住んでいない場所で誕生日を迎える
というだけで
その土地に縁を感じる私。

記憶にある
住んでいなかった場所は
パリ
サンフランシスコ
メキシコ、ニューヨーク。

パリでは私の誕生日に亡くなった天才、
セルジュゲンスブールの特集番組が一晩中放映されてて
それを見た翌日に喘息が出て
友達に付き添われて病院に行ったっけ。

サンフランシスコではルームメイトの韓国人、ミジョンが
サプライズパーティを開催してくれ
次々に部屋に来てくれる留学生仲間
一人一人に抱きついて回った。

メキシコでは旅番組を一緒に作っていた
今でも大切な仲間と過ごした。

ニューヨークは
旅番組の仲間の一人、
ゆかりちゃんと二人だけで旅に出て
ブロードウェイミュージカルをみまくった。

そして、今年は札幌で年をとった。

その夜中に
札幌に来てはじめて関わった番組のオンエアがスタートして
自分の名前をテレビで観た。

35歳。

2月半ばに札幌に来て
たくさんの人に出会い、
「いくつですか?」
と聞かれることが多い。

別に年齢を隠すつもりもないので
その質問に
「いくつに見えますか?」という
まどろっこしい年齢当てゲームはやらない主義の私。

それでも、最近は
年齢を答えるのに一瞬の抵抗が出てきたことに気付く。

「もうすぐ、アラフォーかぁ」と
感慨深く思っていた時に
「ミドサー(ミドルサーティ)」という
なんとも往生際の悪い言葉を知った。

そして、「トッシー、アラフォーやな」
と言われようもんなら
「ミドサーです!」と往生際悪く答える。

自分が子供の頃に想像していた35歳とは
大幅にかけ離れているからなんだろうな。

人と比べても仕方がないのに
周りを見ると
焦ることも多い。

いつになったら、
自分で納得いく
自分になれるんだろう、なんて考えていたときに
テレビで
「life begins at 40 (人生は40から)」
というベニシア・スタンリー・スミスさんの言葉を知った。

私の人生が始まるまでに
5年もあるらしい。

今は、まだはじまってもいない
準備段階ということか。

昨年、ある人が
亡くなられる前に言ってくれた言葉がある。

「根気よく頑張ってください。
自分を発見することが大事です」

5年間かけて準備をするというよりは
「いつでも準備OKやで!」と
堂々としていられる自分でいられる
自分らしさを見つけることと
自信を持てるように進むことを
今年の目標にしようと思う。

写真は
春を待つ、観覧車。
雪の時期はすっぽりとカバーで覆われるらしい。
彼らも今は春に向けての準備中。

2012年3月1日木曜日

うるう年の出来事

二月末日。
東京が吹雪いているというニュースを見てから
外に出たら
札幌は晴れていた。

しかも、いつもより暖かい。

暖かさで雪が解け
道路を走る車が泥水を飛ばしながら走っている。

聞いていた茶色、というよりは
黒に近い。

ふと耳に入った街を歩く人の声は
「暖かすぎて落ち着かないから、もう少し寒くてもいい」なんて言っている。

この街は確実に春に向かっているようだ。

私の気持ちも春に向かえ、と自らエールを送ってみた。

おひっこし

今日で札幌に来て2週間。

今までホテル暮らしだったけど
今日からマンスリーマンション暮らし。

お部屋を紹介してくれたきおちゃんと
一緒に契約に行った日。

二人で並んで、担当者の方のお話を聞いたのだけど
彼女がそこで「娘を初めての一人暮らしに出す気分」
と言っていた。

私もなんとなく、お姉ちゃんかお母さんと一緒に
契約に来た気分になっていた。

契約書に割り印を捺すという
契約上、一番大事な時に上手に押すことが出来ず、
枠だけ表示されて、肝心の名前が全く見えない割り印を捺し続けた私。

彼女は「大丈夫。あと2回チャンスあるから」
と見守ってくれ
最後にはじめて合格レベルの捺印ができたとき、
「よかった」と頷き、私も母に誉められた気分になった。

人とのこういう
偶然に生み出される関係性と感覚って面白い。

無事契約を済ませた部屋は

私の東京の家よりも広く
住みやすそうだ。


ニトリで買った5900円の布団セットと
元々ついていたブラインドが
偶然にコーディネートされて
何だかいい感じになった部屋。


9階の窓から見える
目の前のビルの屋上が雪で埋まっていた。

今日から2ヶ月
ここが私のお城。